2023/6/24ライブ前半戦について

今回のライブはメンヘラに刺さる曲というコンセプトで選んだ曲が4曲あったので、この4曲をどういうふうに歌おうか?ということに大半の労力を割いていました。

何をベースにこの4曲の表現を組み立てていこうか?と、西遊記羅刹女を読んでみたり、雨月物語浅茅が宿を読んでみたり、シェイクスピアを噛じってみたり…ちょうどあかね噺で真景累ケ淵の豊志賀の死をやっている頃合いでそれもすごく面白くてよいと思いはしたのですが、生憎落語は聞いたことしかありませんでして、落語を人前で演れるクオリティに仕上げるには期間が短すぎるし歌の練習もせねばならないため、どうしたものかと思案に暮れておりました。

そんなときふと、U-NEXTのマイリストを見ると『人間失格太宰治と三人の女たち〜』があり、そういえばこの話も入水自殺の話だったなと思い返し、映画のパンフレットを引っ張り出してきて一読し、これだと確信した次第です。

人間失格太宰治と三人の女たち〜』は個人的にすごく性癖に刺さる作品でしたので、こちらもお時間あればぜひご覧ください。脱線失礼いたしました。

そういった経緯で太宰治と情死した女性、山崎富栄をこの4曲で表現してみようと思ったのです。

 

彼女を知るにあたって、まずは『雨の玉川心中〜愛と死のノート』を読みました。

彼女と太宰治の人間関係を知らなかったため、何のことだろう?よくわからないなと思いながらも、ふいに出てくる彼女の言葉にすごく惹かれました。

「戦闘開始。覚悟をしなければならない。私は先生を敬愛する。」

「私の大好きな、よわい、やさしい、さびしい神様。」

「私ばかり幸せな死に方をしてごめんなさい。」

『雨の玉川心中〜愛と死のノート』より抜粋。

この辺りの文章はすごく好きで、曲間のセリフにも引用しています。

更に補完しようと『恋の蛍〜山崎富栄と太宰治〜』を読み、彼女が私の想像を遥かに超えた壮絶な人生を歩んでいたことに衝撃を受け、涙し、これを表現できるのだろうか?と葛藤する日々でした。

彼女の人生をかい摘んでご説明致しますと、彼女は美容・縫製学校の校長の娘に生まれ、校長の後継者となるべく英才教育を受け、後継者に相応しい実力を備えたその時代には珍しい職業婦人となりました。

しかしながら、父の建てた美容学校は2度空襲で焼失し、空襲に耐えられるように建てた鉄筋コンクリート造の美容学校は軍部に供出し戦後も戻ってくることはなく、計3回校舎を失ったのです。

彼女が戦争で失ったものは継ぐはずだった学校だけではありませんでした。生家や育ての乳母も東京大空襲で焼け、たった二週間の結婚生活を共にした夫はフィリピンにて戦死し彼女は若くして未亡人となりました。富栄が一人で婚姻届を役所に提出した日には、既に夫となる人間は戦死していたのだと知ったとき、彼女はどんなに虚しかったでしょうか。

戦後、父は公職追放人となり学校長に復帰することは絶望的となったため、学校再建の夢は当時27歳の富栄に託されました。彼女は学校を再建するべく、昼は美容室で、夕方からはダンスホールで、さらに夜間は酒屋でアルバイトをしていました。

朝から晩まで忙しく働く日々を送っていたそんなときに、彼女は太宰治と出会ったのです。

大日本帝国万歳と叫んでいばっていた軍人どもに協力していたマスコミが、負けたとたんに軍国主義をたたき、軍人を悪者あつかいして、アメリカの民主主義が正しいのだと、恥知らずに書いている。それじゃあ、お国のために死んだ兵隊は浮かばれないよ…(略)…もし悪かったというなら、戦争に反対しなかったわれわれ国民も、ひとりのこらず悪いんだ…(略)」

そう語る太宰治の言葉に、「富栄は、冷水をあびせられる思いがし」ました。

「二年前の東京大空襲で、本郷の家と学校、銀座の美容院を焼失した。マニラに転勤した夫は、現地でにわか仕立ての兵隊にされ、半月であっけなく死んだ。

戦争ですべてを失った絶望も、無念も、悔しさも、無力感も、日本が敗れたのだから仕方がないとあきらめ、深くは考えないようにしてきた。長いものには巻かれろ、大きいものにはのまれろ、それが女の知恵だと母に諭され、思い悩むことさえやめた。

けれどここに、日本人の変わり身の早さ、そのみっともなさ、無節操をなげき、時流に染まらず、自分の信じる正しい道に、誠実に生きようと苦悩する人がいる。 富栄は頭を殴られたような衝撃をうけつつ、ひさしく離れていた知的な話題に、好奇心をたかぶらせた。」

『恋の蛍〜山崎富栄と太宰治〜』より抜粋。

富栄は太宰治と知り合ったあとすぐに、彼の本を探して読み耽り、彼は天才だと確信し、彼に心酔、傾倒していくのでした。

私自身も太宰治の著作をいくつか読みましたが、知的な文章の中にユーモアがあり、富栄の経歴を知って気持ちが沈んでいたときでも、思わずクスっと笑ってしまうというような、嫌みのない面白さがありました。これが太宰治が自身の文章を指していう「軽さ」なのかなと思います。

どうしようもなく暗い気分のとき、ちょうどいい距離で寄り添い、笑わせてくれる文章。富栄もそれを読んで心が救われる気持ちになったのではないでしょうか。

(個人的には、『津軽』が好きです。)

このとき、太宰治には妻(津島美知子)と三人の子ども、妊娠中の愛人(太田静子)がおり、富栄は二人目の愛人となりました。妻子がいることを知った富栄は罪の意識に苛まれ、彼女自身を罵る文章を日記に残しています。

富栄は、苦しみ葛藤しながらも太宰治を愛し、美容室を開くための貯金を彼の交際費に使い果たすほど心酔していました。そして、末期の肺結核を患っていた太宰治にかいがいしく尽くし世話を焼いて、後に彼の代表作となる『人間失格』の執筆を支えたのです。

1948年6月13日。太宰治と山崎富栄が玉川上水にて入水自殺した日です。今からちょうど75年前の梅雨季でした。本番当日と近い日でしたので、すこし運命じみたものも感じました。

 

ここからは曲をどのように解釈したかを書いていきます。

1、愛妻家の朝食

この頃もちろんテレビはありませんでしたが、富栄の日記には桜桃やぢゃぼん(ザボン?)などの果物が出てきます。また、富栄は太宰と互いのことを夫、妻と呼びあっていたようです。

大サビ前までは太宰の執筆を支える富栄の最期の日常を、間奏からは戦争で全てを失った虚しさを。

最後の「もう何も要りません。」はこれも本心の一つだったのかなと思っています。夢を継いで学校を建てたとしても失われるかもしれない。自分自身は何も変わらないのに戦時は世間から非難され、戦後はもてはやされる。世間の人びとは軽薄でいつまた美容師が蔑まれるかわからない。朝から晩まで働き続ける生活の疲れ…。こんな毎日を生き続けるくらいなら、もう何も要らない。学校再建の夢も、今まで培ってきた技術も、輝かしい未来さえも。

(富栄の父の公職追放サンフランシスコ講和条約の年に解除されますが、後継者の娘を失った父親に学校再建する力はもう残されていませんでした。)

 

後奏にて場面転換。時は、太宰と結ばれた日に遡ります。

「愛してしまいました。

先生を愛してしまいました。

覚悟をしなければならない。

私は先生を敬愛する。

戦闘開始。」

『雨の玉川心中〜愛と死のノート』より抜粋。

 

2、禁じられた遊び

妻子ある人を愛してしまった。

不義だと思う気持ちと、それでも逢わずにはいられない弱い自分。先生と逢っているときは幸せで、それ以外のときは不幸せです、というような言葉が日記にありましたが、逢っていても寂しさを抱えていたのではないかなと思っています。

「限りあるとき 逆さに数えて

離れられない 孤独が際立つのに」

結核を患う太宰に残された残り僅かな時間。片時も離れたくない。でもそばにいると妻子を持つ彼と違って子どももいない自分が余計に孤独に惨めに思われる。

「黙って寄り添う 傘だけに見えてる

濡れた二人の途へ 残された結末ならば」

6月の長雨。傘の中で富栄は太宰を見上げる。

二人に残された結末は、共に黄泉比良坂を下り死の国で夫婦になる、というものでした。

 

「私は、いろいろな心のいきさつを超越して「頼む」といわれたおことばを守って、

「離れないで、僕を守って――」といわれたおことばを心に刻んで、命あるかぎり守りたい。

赤い糸でつながれた愛情が、あなたを信じさせてくれますもの。

信じておりますとも、ご一緒に、どこへでもおとも致します。

あなたも、私を、グッと引きつけて、お側へおいて下さいませ。

 

私の大好きな、よわい、やさしい、さびしい神様。」

『雨の玉川心中〜愛と死のノート』より抜粋。

 

「いろいろな心のいきさつ」について。太宰と恋仲になってから、富栄はもうひとりの愛人、太田静子に娘が産まれたことを知ります。太宰はその娘に自身の名前から一字とって、「治子」と名付けました。

この出来事も富栄の日記に記されています。

「いろいろのことがありました。

泣きました。顔が腫れるくらい…(略)

"…お名前だって、いや。髪の毛一すじでも、いや。わたしが命がけで大事にしていた宝だったのに"」

この言葉もすごく好きなんです。どこかに入れ込みたいなぁと思いましたが、場所がなかったので断念しました。

もうひとりの愛人、静子は太宰の子どもを産んだのに、自分にはいない。自身の生活を切り詰めてお手伝いさんと3人で暮らす静子に送金しなければならない。そんな自分の境遇と愛人と比べて惨めな気持ちになる。この惨めさが入水願いのラスサビに繋がっていくと思っています。

 

3、入水願い

「私の大好きな、よわい、やさしい、さびしい神様」という台詞から、入水願いの冒頭のベースラインに繋がる流れが気持ちよく、これから死に向かっていくもの悲しさを感じていました。

「あたしを殺して それからちゃんと

一人で死ねるのか

答えもしない 子どもの仮面をつけた

鮮やかな目

もうひとつの方 生きる方は如何」

この部分がすごく太宰みがあっていいんですよね。太宰は過去に2度心中未遂事件を起こし、太宰だけが助かっています。富栄と太宰の会話内容として存在してもおかしくないなぁと思ったり。太宰に問う富栄に対し、ずるい太宰は答えない。ありそうです。

富栄の日記に「本当はもう1年か2年くらい生きていようかと思ったのですが」というような文章があったのもあり、いい歌詞だ…としみじみ思います。

 

「大嫌いです 全部が嫌です

賞賛したがっている あなたの嘘つき

今夜以降 こんな仕様もない女が

生き永らえるなんて あられもないわ

どうぞ 殺って」

 

信じていたのに、他にも愛人と隠し子がいたこと。

太宰に「恋をしている女があるんだ」と言われたこと。

太宰の著作『グッド・バイ』に富栄がモデルの女が登場し、主人公と別れる描写があったこと。

太宰に振り回された5月が終わり、梅雨の長雨は玉川上水の水かさを増やし人喰川へと変えていく。

 

「生きなくて、いいです。死にたいんです、今、ここで」

人間失格太宰治と三人の女たち〜』より抜粋。

後奏の間、思わずこのセリフをつぶやいていました。

 

そうして人喰川の濁流にのまれた二人は…

 

4、遭難

エンドロールムービーが流れているようなイメージでした。富栄の28年の短い生涯が終わり、物語は幕を閉じる。

全ては二人が「出逢ってしまった」ことから始まりました。

出逢わなければよかったのでしょうか?

こうなる運命だったのでしょうか?

私の問いに答えが出る日はなく、そこにはただ哀しい結末があるだけです。

 

ーーー

とても長い文章を書いてしまいました。

4月からどうしようか考え出していたので、ここまで長くなってもしょうがない…のかな?しょうがないよね?

初めは富栄の父の晴弘に感情移入してしまって、なかなか気持ちの切り替えができませんでした。親になると子どもの心がわからなくなるものですね。

やっとこさ富栄の方にシフトできたかと思うと、そこからは毎日のように悲しくなって泣いてしまったり、衣装を選ぶときも小物を選ぶときもなんとなく悲しくて泣いてしまったり、「私は24日に死ぬのだ」と思いながら情緒不安定で陰鬱な毎日を過ごしていました。文章にするとなんかこう…異常者の感が出てきますね。ちょっと気持ち悪いかもですね…。

本番前のボーカルなんてみんなこんなもんだと誰か言ってください。よろしくお願いします。

おそらく私はなにかに取り憑かれていたのだと思います。本番当日、入水願いが終わったとき、文字通り憑き物が落ちたような身体の軽さを感じました。「やっと死ねた!終わった!」とまだ本番も終わっていないのに思いました。そこからはなんか無性にハイになって面白くて楽しかったです。

ステージはいいですね。実際に死ななくても死ぬ経験ができる。

これからもこんなステージをやっていきたいものですね。